翌日の水曜日。午前中から幻海の寺には大勢の異国の学生がやって来た。体格はやはり日本の学生よりは良い。だが、ワイシャツにネクタイを結び、スクールニットを着たその姿はいかにも10代の学生らしい若々しさに溢れていた。
友人同士で談笑しながら、あるいはデジタルカメラを持っているものはそれで仏具や仏像を撮影しながら、楽しそうに寺の中を見て回っている。
だが、そんな中に一人その楽しげな雰囲気から浮いていた少年がいた。口を結んだまま、いかにもつまらなさそうな表情を浮かべたその少年。ぽつんと集団から一人離れて歩いている。彼の短めの髪の毛にはシャギーが入っていて、ツンツンと立っている。色はかなり色素が薄いプラチナブロンド。肌の色も白く、生来色白な体質なのだろう。なぜか獰猛な豹を思わせる吊り目の瞳の色は、どこか見覚えのある青。

どこにでも、はみ出し者はいるもんなんだね…。

その少年を遠くで見ながら、幻海はそう思った。制服を着た普通の少年であるはずなのに、彼を見ていると、まるで嵐の前に湧き出る黒雲を眺めているような、不安な気持ちになってきた。この少年は、いずれとんでもないことをやらかす…。幻海のカンはそう告げていた。だが、海外から来た客人に不躾な真似をするわけにもいかない。どうせこの少年も何日か後には日本からいなくなるのだから。幻海は自分のカンを無視し、静観することに決めた。もし、この時幻海が、豹を思わせる少年に接触して、彼の真意を感知することができていたのなら…この後の事件や、それより遥か先の未来にダレン少年に起こる数々の試練は避けられたのかもしれない。

修学旅行生達は本堂の見学を終えた後、幻海が普段いる茶の間の前を通って、離れの武道修練場へと向かった。幻海が不安を覚えた少年は、皆の後を一人だるそうに付いて行っていたが、ふと彼が視線を横に向けると、茶の間の丸卓の上に、小さな紙切れが一枚載っているのが見つかった。彼は廊下から茶の間に入ると、丸卓の上のその紙切れを手に取った。そこに印刷されていた文字の内容は彼にとって懐かしい、そして甘美な復讐の悪夢をもたらしたものだった。シルク・ド・フリークの公演チケット…。

「この国(ここ)にいたのかよ、ダレン…。」
少年の口元に歪んだ笑みが浮かんだ。少年はチケットをそっとズボンのポケットの中へと滑り込ませる。
かの少年の名前は、豹(レパード)の異名を持つ、スティーブ・レナードと言った―




木曜日の午後。学校帰りのがシルク・ド・フリークを訪れた時、そこにはかなり深刻な問題が持ち上がっていた。
「ただでさえ芸人の人手不足だってのに…こりゃマズいな。ショーのラストが締まらなくなっちまう…。」
普段は明るいコーマック・リムズも難しい顔をしていた。
「ダレン君、どうしたの?」
はトレーラーの前にいたダレンに事情を尋ねた。
「昨日の晩のショーが終わった時から調子が悪かったんだけど…エブラの蛇が、病気になっちゃったみたいなんだ。」
眉を八の字になるまでひそめながら、ダレンが答える。
「皆ゴメン。俺、裏方ならいくらでも手伝うよ…。」
エブラは心底申し訳なさそうにメンバーに謝っている。
「エブラ、お前のせいではない。蛇は実はかなりデリケートだから、ちょっとした環境変化にも弱い。そうだろう?」
ぬっと現れたミスター・トールがエブラの肩をポンポンと叩きながら、慰めてやっていた。
「しかし、本当に困ったな…。ラーテンのショーは確かにスリリングなのだが、ショーのラスト向きではない…。他の芸人のショーもそうだ。」
ミスター・トールも赤いシルクハットを深くかぶり直して、他のメンバーと同じように考え込んでしまった。
その時、ダレンの頭の中にぱっと、と初めて会った時に彼女が出現させた青真珠色の美しい球が思い浮かんだ。
ダレンは隣に立つに、小声で話しかける。
「ねえ、…。は人前に立つのって、緊張しない?」
「えっ、それってどういう…?」
と言いかけたところで、はダレン少年が言いたいことにはっと気が付いた。
「えええ!?まさか、私にエブラ君の代わりをしろってこと!?」
「うん。がこの間出した球、すごくキレイだったから…。」
ダレンは力強く頷きながらそう言った。
「確かに私、精霊使いとしての能力はあるわ。でも、舞台に関してはまるっきり素人なのよ!?私が舞台に…しかも、ラストステージに立ったりしたら、ショーが滅茶苦茶にならない!?」
「大丈夫だよ。僕だって、まるっきり素人の状態でクレプスリーの助手ができたんだし。は美人だし、スタイルいいから、僕よりうんと恵まれてる。お客さんだって大喜びだよ。」
すうっととダレンの間に大きな黒い影が差してきた。
「ふむふむ。ダレン。それはなかなかいいアイディアだな。シルク・ド・フリークには様々なフリーク達が所属してきたが、精霊使いは今までただの一人もいなかった…。」
黒い影の正体は、ミスター・トールであった。この人物は相変わらず人に気配を悟らせずに、突然近づくのが得意なようだ。
黒炭の瞳で、をじっと見下ろした。
「お客様を楽しませる実力の方は申し分ないみたいだな。衣装と、数回の舞台リハーサルがあれば、十分にやっていける。どうだ、嬢?それなりの礼はする。緊急の代理フリークとして、我がシルク・ド・フリークの舞台に立ってはくれんか?君が望むのであれば、恋人の蔵馬君も引っ張り込んで構わんから。彼も彼で、植物を操るという珍しい芸当を持っているのだろう?」
、お願いだよ。シルクを助けてくれないかな?僕達はこれでお金稼いで生活してるんだ。一週間の公演を突然今日で打ち切ったりしたら、お客さんに嘘を付いたことになるよね?それじゃあ、プロとして恥ずかしいもん。」
ダレンのすがるような青い瞳が、そしてシルク・ド・フリークのメンバーの期待を込めた眼差しがの心を動かした。
「わかったわ。女は度胸だもの。困っている人を、私も精霊使いとして放っておけないわ。やってやろうじゃないの。」
勝気な微笑みをは浮かべ、言った。
やったぁ、とダレンを始めシルクの面々にも笑顔が浮かぶ。
「それじゃあ、早速だがショーについて打ち合わせをしようか?」
ミスター・トールは自分のトレーラーを指差した。
「はい。ふふふ、サーカスか…。何やろうかしら?あ、ちょっと待ってください、ミスター・トール。蔵馬にも連絡入れますから。」
何だかんだ言っておきながらも、はかなり乗り気なようだ。ポケットから携帯電話を取り出し、はやる気持ちを抑えながら、蔵馬にメールを打った。

「…で、ショーを引き受けちゃったんですね、は。お人よしなんだから。」
半ば呆れ口調で蔵馬はに言った。
「だって…。おもしろそうだったし…。」
さすがのの口調も歯切れが悪くなってしまった。
「ショーにもし、知り合いが見に来ていたらどうするんですか?」
「その時は、ショーが終わった後、蔵馬からその人に夢幻花をプレゼントでしょう?」
上目遣いでは蔵馬を見つめる。蔵馬は盛大にため息を付いた。
「人のことをアテにして…まったく、もう。」
「蔵馬、もうやるって決めちゃったんだから、グチグチ言わないの。」
はミスター・トールのトレーラーの窓から見える外を指差した。日はすでに暮れて残照だけが残っている。
「わかったよ。俺も、ショーに協力しましょう。」
ふーっと蔵馬は瞳を閉じて息を吐き出した。トレーラーには主のミスター・トールの他に、起き出してきたクレプスリーに、ダレンも控えていた。
ふふっと皮肉な笑みを浮かべて、クレプスリーがぽんと蔵馬の肩を叩いた。
「お前さんも、自分の連れにはなかなか苦労しているようだな。殿は今時珍しい品行方正なお嬢さんかと思っておったが…。我が輩の手下のダレンそっくりで、言い出したら聞かんところがあるとは…。」
「たまにどこかに閉じ込めておきたくなることがありますよ…。何するかわからないし。」
「どうだ、ショーが終わったら二人で一杯飲まんか?」
「いいですね、それ…。じっくりお互いの苦労話でも語り合います?」
ゴホン、とは盛大に咳払いをして、蔵馬とクレプスリーの会話を中断させた。
「それで、私はミスター・クレプスリーの後に出ればいいわけね?どんな感じのショーにすればいいのかしら?」
ミスター・トールがふうむ、と片手で顎を撫でながら言った。
「いつもはエブラの蛇で観客を驚かせて締めるのだが、今回は折角日本に来ていることだし、東洋の神秘を感じさせる派手で美しいものがよかろう。」
「派手で美しい…。それじゃあ、殺傷能力を削いだ氷蝶乱舞はどうかしら?あれは氷の蝶を召喚する技で、蝶は光が当たると七色に光るから、かなりキレイなのよね。それと…幻獣の世界から、何か召喚して、観客参加型のショーをするのもいいかも!!」
は目を輝かせてショーの演目を考えている。
「どうするか細かいことは、君に任せる。」
ゆったりとした口調でミスター・トールは言った。その時、コンコン、とトレーラーのドアをノックする音が聞こえた。
「はい。」
ダレンが扉を開けてやる。そこには、ひげ女トラスカがにっこりと微笑みを浮かべて立っていた。
「トラスカ!!そっか、の衣装だね。」
ダレンはの方を向いて、言った。
、トラスカが舞台衣装決めたいみたいだよ。衣装見ながらショーのことを考えてきたら?」
「そうね…。そうするわ。」
はトレーラーの扉へと向かう。
「よろしくね。トラスカ。」
トラスカには話しかけた。トラスカもに対して何か言ったが、残念ながらアザラシの鳴き声のような彼女の言葉の意味はわからなかった。雰囲気で、向こうもに対してよろしくと言っているようなのは伝わるのだが。
はトラスカに連れられて、彼女のテントに向かった。

トラスカのテントは、壁中に絵画や鏡が飾られ、風変わりな雰囲気だった。トラスカはアンティーク調の鏡台の前にを座らせると、しばし彼女の姿を見て考え込んだ。そして唐突にパチンと指を鳴らすと、いくつも並んだ大きな洋服箪笥の一つに突進し、引き出しを開けて中を掻き回した。その中から、二つほど衣装を取り出す。
その衣装を見た時、は唖然として言葉を失ってしまった。ようやく絞り出した声はかすれてしまっていた。
「ねえ、私、これ着るの?」
トラスカは通じぬ言葉でしきりにまくしたてながら、に服を着ろ着ろ、とせかしている。その顔には満面の笑み。推察するしかないが、おそらくトラスカはこう言っているのだろう。
「あなた、これ、絶対に似合う。絶対、これ、着なきゃダメ。」
は小さくため息をついて、覚悟を決めた。このままグダグダしていては、ろくにリハーサルもできない。
「女は度胸って、さっき自分で言ったものね…。」
は聖ソフィア女学院の制服を脱いで、トラスカが用意した衣装に袖を通した。
一着目は、レースクイーンも真っ青なかなり食い込みがきついハイレグの衣装だった。ビキニラインと胸の部分にはわずかに布が使われているが、他は忍者の鎖帷子を思わせる網タイツが使われていて、肌の露出度がかなり高い。臍も背中も丸見えである。わずかな布の部分には、和の雰囲気の金の唐草模様が刺繍されている。蔵馬が見たら何と言うだろうか?
そしてトラスカが手伝ってに羽織らせたのは、派手な花魁風の豪奢なうちかけであった。朱色に金色、銀色が入り乱れ、鶴や鳳凰がかなり大きく刺繍されている。
ミスター・トールの要望通り、日本風なショーにぴったりの衣装だった。
はうちかけの前を必死に握って中の和風ハイレグの衣装を隠しながら、トラスカを睨みつけた。
「中にこんな衣装着てるってことは…ずっとこのうちかけ着てろってわけじゃないんでしょう?ショーの途中で、いずれこのうちかけ、脱げってこと?」
トラスカは切れ長の瞳にニヤリと、ちょっと意地悪な微笑みを浮かべて頷いた。
再び、はため息をつく。
トラスカはを再び鏡台に座らせると、ポニーテールに結わえてある彼女の髪を下ろして、櫛を通し始めた。栗色の絹糸のような髪の毛にはさしたる抵抗も無く、するすると櫛が通る。トラスカは再びの髪の毛を高いポニーテールへと結い上げた。彼女にはこれが一番の髪型だと判断したらしい。そして結い上げた髪の毛に、カラフルで透き通ったトンボ玉がいくつもついたかんざしを挿してやる。
最後の仕上げはメイクだ。が今まで試したことのない真っ赤な口紅を塗ってやり、和風ハイレグによって露になった腕や足に、これまた和風な桜や桔梗の花のボディペイントを描いてやった。ボディペイントを描いてもらっている時、はくすぐったさに体を少しよじったのだが、トラスカに身振りで動くな、と注意され、くすぐったさを必死で堪えざるをえなかった。

衣装を着たの姿を見た時、シルク・ド・フリークの男性スタッフ達ははっと息を飲み、魂を抜き取られてしまったかのようにその場に立ち尽くした。ダレンやエブラは思わずおおっと声を上げてしまい、普段は仏頂面のクレプスリーも顔を赤らめて、ゴホンと小さく咳払いをした。
は信じられないくらいに妖艶な女性へと姿を変えていた。赤い口紅が彼女にこんなに似合うものだとは、蔵馬も思わなかった。胸の膨らんだ双球と下腹部を覆い隠した黒い布には金の唐草が縫い取られている。それ以外は目の細かい網に覆われていて、彼女の美しい白い肌と、引き締まってはいるが世の女性が憧れるスレンダーなボディラインがはっきりと見て取れた。その和風ハイレグの舞台衣装の肩に、無造作にかけられた派手な朱色の地に金色や銀色で大柄な刺繍が入ったうちかけが、江戸の高級娼婦だった花魁のごとき上品な艶めかしさを引き立てていた。この姿のをまったく無視できる男性などこの世にいないだろう。

「…ずいぶんすごい恰好になったんだね、。」
シルクのメンバーの目からを隠すかのように、蔵馬は彼女の前に立ち、静かに呟いた。
「う…だって、仕方ないでしょう?サーカスなんだから、これぐらいの恰好はしないと。それより、さっきショーの構成を考えたの。聞いてくれる?」
「わかった。それにしても…本当ならこの姿のを見られるのは、俺だけにしたいんだけどな〜…。」
蔵馬はぐるりと首を回して、周りにいるスタッフや芸人の面々を見回した。蔵馬と目が合った男性陣は、なぜか背中に冷たいものを感じて、そそくさと視線を逸らしてしまった。
「準備はよろしいかな?ショーの開演まであまり時間がない。早いところリハーサルを済まさないと、お客さんが来てしまうぞ。みんな、早く持ち場に付け。」
膠着状態の雰囲気を、赤いシルクハットと同色の手袋をはめたミスター・トールの声が打ち破る。
、プログラムの順番だけど、最初はウルフマンに、次に肋骨男のアレクが続いて、トラスカ、コーマック、そしてクレプスリーに僕、最後にだからね?大丈夫?」
リハーサルのために舞台袖に来ていたと蔵馬に、ダレンがそっと話しかけてきた。
「平気平気。今はもう、むしろ本番が楽しみなくらいだわ。」
豪奢なうちかけと、きらきら光るかんざしを揺らしながら、が笑顔を浮かべた。
「頼もしいな。それでは、殿、よろしく頼むぞ。」
ダレンの後ろに立っていたクレプスリーもに声をかける。そして蔵馬に視線を移して尋ねた。
「時に、蔵馬殿、貴殿もショーに出るのかな?」
「ええ、まあ、小さなアシスタント役なんですけどね。」
 「一体何を見せてくれるのか楽しみだな。」
 ふふっとクレプスリーは笑った。蔵馬も意味ありげな笑みを浮かべて言った。
「それは本番を見てのお楽しみですよ。」